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祖父母の家。   2010.12.01 // 日常
もみじ1

きょうの記事は、すこし「しんみり」しちゃうかな…
「しんみり」が苦手な方は、ササッとスルーなさってくださいね。

きょう、12月1日をもって、祖父母の家と「さよなら」することになりました。

私がちいさかったころは、祖父母との家と近かったこともあり
よく遊びに行ったものでした。
祖父は、子どもたちに対しては厳格な人でしたが、私にはとても優しく
私のほっぺた(当時はやわらかかった^^;)をぷりぷり触って、ニコニコして
いたり、たくさん遊んでくれました。

祖母は、家事を一手に引き受けて、特にお裁縫と料理がとても上手でした。
遊びに行けば、「yururiの大好物の高野豆腐を煮といたからね」
風邪をひけば、金柑を甘く煮たのをタッパーにたくさん入れて
持たせてくれました。

そんな祖父母も次第に歳をとり
祖父が先に亡くなり
祖母は、ひとり暮らしを選びました。

しっかり者だけど、心配性の祖母。
身体が衰えないようにと、腹筋を一日30回しつつも
夕方になると、早く雨戸を閉めていたそうです。

祖母がひとりで暮らせなくなったとき、私の家から
遠く離れた、長男夫婦の家で過ごすことになりました。
3年くらいは元気にしていました。

学生で、自分のことばかり考えて過ごしていた私…
「おばあちゃん」を大事に思うこと…忘れる日もありました。

おばあちゃんが、赤ちゃんのように戻っていくようになり
私は一人で、新幹線に乗って、おばあちゃんの住む家に向かいました。
でも、まだ、まだ覚えていてくれた。
別れるときには「がんばんなさいよ」って、いつもの言葉を言ってくれて。。

その直後、私は病気になりました。
でも、おばあちゃんとつながっていたくて、手紙を書き続けました。
従姉妹の話では、とても喜んでくれて、飾ってまでしてくれていたそうです。

そのまま会えることなく
おばあちゃんは最期のときを迎えました。
93歳の誕生日の前…私が出した「暑中お見舞い」の2週間後でした。
子供たち、駆けつけられた孫たちに見守られながら…

その間、あの「祖父母の家」は空き家状態で、近くに住む叔母が
ときどき見に行ってくれていました。

おばあちゃんの一周忌のあと
「あの家はどうする?」という話になり、結局売却、という話になりました。

行こうと思えば行けました。風邪を圧してでも行きたかった。
思い出のつまった「あの家」に行きたかった。

でも、両親もここのところ忙しく、無理は言えません。
それに
あの祖父母だったら…「もっと会いに来てほしかった」と思うでしょう。
ふたりとも天国に召されたいま
「空の家に来るくらいなら、病気を治すのが先。がんばんなさいよ…!」
そう言っているような気がするんです。

私は、けっして良い孫ではなかった。
けれど、おばあちゃんと別れるときの「がんばんなさいよ…!」

忘れずに、生きていきます。



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