上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


201001171214000.jpg

突然な話なのですが‥
人って、意識がなくなると、本当に「愛する人」の声が
わからなくなるのでしょうか。
認知症になって、それが進んだ場合、子供や孫のことが
本当にわからなくなるのでしょうか。

昨日、祖母のことで、父と意見が真っ二つ(苦笑)
最近、意見割れるなぁ(^^;

父は、言葉がわからなくなり、子供のことがわからなくなったら、
もう「何もわからない」派。
…それを聞いてショックを受けつつ
母と私は、「意識なくとも、認知がかなり進んでいても、わかる」派。

どちらなのでしょう?

人間は、自分では想像もできないほどの力を持っている、
それをつい最近感じた私。
父の感じ方は、その力をバッサリと切り捨てるよう…
目に見えていることのみ信じているように思えます。
実の親が、自分をわからなくなった悲しさが
そういう思いにさせているのかもしれません。

母と私の考えは、理想に過ぎない、ロマンチックな考え?
(でも母は、昨年 実の母を見送っています)

認知症と、意識がなくなることは、全く別物。
だから、きっとどちらも合っているところ/いないところが
あるのでしょうね。

でも、こうも思いました。
諦める/諦めない にも置き換えられるのでは…と。

たとえ、どんな状態であっても、
自分でも、他の人でも
例えば大事にしている鉢植えでもいい
生きているものを諦めたくない。
力が弱くなっていたら、なおのこと。

いろいろと、調べてみたくなりました。本当にそうなのかどうか。

祖母が若かったころ、我が子達を「諦めた」ことがあったかしら。
きっと母として、諦めず見守っていたことでしょう。
それは、ともかくとしても…

PMS期にも入り、気持ちが揺れていました。
大好きな「smile」の曲をかけっぱなしに…落ちつきます。

諦めた方が良いときは、絶対にあると思います。
諦めをたくさん「経験」してきたからこそ……でも…

自分なりに、いろいろと考えてみたいです。

ブログ村 メンタルヘルスブログ

人気ブログランキングへ

参加しています。「ポチ」してくださるとうれしいです*


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。